2017年の7月も後半、それと #ツイキャス 朗読 #中島敦 『 #山月記 』
本日で今年の七月も十六日目。カレンダーを作成して、手元のスケジュール帳と並べてみたのですが、あっと言う間だったなと、この半月をふり返っております。
先月からの新しい変化と言えば、心身ともに不安定になりながら、書き直しを続けていた学術論文を仕上げ、提出したこと。積極的に「お仕事を下さい!」と動き出したこと。この2つです。
あとは、こちらのことをきっかけに、ツイキャスをする回数が一気に増えました:
gray-naka3-3dsuki.hatenablog.jp
朗読キャスのほうは、プロではありませんし、技術は上がりませんが、細々と続けております。
今週の14日は、中島敦『山月記』でした。残りの時間は、wikipediaを使って、今作の元ネタの唐代伝奇「李徴」や、彼の親友であり、『旧唐書』や『新唐書』の歴史書で確認できる袁傪の人物像について調べて、いろいろと喋りました:
朗読したのは、キンドルにある青空文庫版は、底本が次の新潮文庫版であった模様です:
中国唐代の歴史的な細かい出来事について、また二十五史(数え方は諸説あり)のことをブツブツとつぶやいてみたり、『太平広記』等のwikipediaに出てくる書物に関して、けっこう大雑把なことを喋っております。ちなみに、太平広記 - Wikipediaは北宋の類書 で、卒論を書く時、『太平広記』当時の家具やら住居やらのことを調べた覚えがあります。
そういえば、こんな記憶があります。非常勤講師で教えていた学校のひとつで、『山月記』を国語でやっていた時期に、世界史のほうで私が日清戦争後の下関条約を扱う時期が重なった思い出があります。世界史の授業で、清朝側の講和条約の代表者を尋ねると、生徒から李徴の名前が出てきて、「おしい!姓の李は正解。この人物の下の名前、二文字。実は、前に教科書で出てきてる人物なんですよ。よ~く、教科書をめくって、思い出してみて。もし、分かる人いたら、この子に教えてあげて下さい」ということを言った気がします。
指導として、適切ではなかったかもしれなませんが、それはともかくとして、中島敦の「山月記」は、現在も高校国語の現代文で取り上げられる作品なんですよね。魯迅「故郷」ともども、日本の国語教育において、一定の教育的価値の認められている文学作品ということについて、認識を新たにしました。
このあたり、またメインブログで纏め直したいと考えております。そういうことで、メモ的に書いておきました。おしまい。