学校の非常勤講師の話~lemon「フリースクールに通って感じた、「個性尊重」教育の矛盾」をきっかけに~
フリースクールに通って感じた、「個性尊重」教育の矛盾 – メンヘラ.jp
次のツイートで、メンヘラ.jpに掲載された現役中学生のlemonさんの↑の記事を紹介しました。
中高で非常勤講師していた頃、私自身や担任の先生の「生徒一人一人に、こうしてあげたい」という気持ちや学力アップの時間は、様々な制約の中でサポートできず、悔しかったことがあります。窮屈だった自分の10代を思い出したりもしましたhttps://t.co/RFyJMcXgyp
— 仲見満月@燃えつき「真っ黒」博士の亡霊 (@naka3_3dsuki) 2017年2月2日
↑のツイートの続きを連続で行ったのが、次のツイートです。二月二日、昨夜のツイート群です。
非常勤に行っていた学校には、地域柄か、工芸や被服デザインの高等専修コースを設けているところがあり、生徒のラクガキ、文化祭の軽音部の生徒の演奏を聞いては、「Youtube発なら、ヒットしそう!」という人もいました。現在もバクチみたいな生き方になるので、積極的にすすめられずでした。
今なら、ツイキャスほか、たくさんの作品展開があって、もっとすすめやすかったかもしれません。いろんな将来の道を知ったのは、皮肉にも、自分がどこの非常勤もやめて、就活と平行して、ブログを初めてからでした。
×初めて➡始めて。板書してると、誤字脱字がひどくて、よく生徒に注意されていたことも、思い出しました。つまり、ダメダメ講師だったんです、私。博士号持っていても、だめですね…。
(先月)28日のイベントの自己紹介で喋りましたように、10代の小中高の生きづらさの究明をしたくて、教職課程に進みました。作家のこだまさん(『夫のちんぽが入らない』著者)と同じで、「自分の学校生活、楽しかったんだぜ!イェーイ!」じゃない私みたいな人でも、教職免許取得しようと思うんだぜ!
非常勤の頃、いろんな学校に行きましたが、閉じられやすい空間というのはどの学校も似ていて、10代の生きづらさを思い出しては、「生徒たちにも、地獄を毎日、生きとる人もいるんだろうな~」と、ふと考えていました。
途中で、lemonさんに補足ツイートしたり、フォロワーのすかいゆきさんからリプが来たりしたので、その自分側のツイートまとめを致します。
lemonさんへのリプ
(いちばん前方の私のツイート補足):
補足:私が非常勤行っていた地域は、自治体や周辺の学校法人を超えて、教員の勉強会を通じて、情報交換が多かったです。不登校だった生徒が、転校はしないけど、自治体のフリースクールのほうに出てきていたら、在籍校の出席日数にカウントするという制度も、そこで知りました。
そういうわけで、いろんな学校教員、地域ごとにサポートの体制には差が出てしまう。という補足でした。このあたり、教員採用試験のテキストを掘り起こして、法律や某文句あるか省の通達を根拠に、メンヘラ.jpに書きたいところです。
私のツイート群への返信で、すかいゆきさんが、ご自身の専門学校での指導のご経験をツイートされました。そのことへの返信が次になります。
すかいゆきさんへのリプ:
まず、講師は自分のことを優先すること!というドライな感じだけど、一線をどこかで引くことの大切さをツイートで教えてくださいました。そのことへのリプです。
学校ごとに、いろんな層の生徒が固まっていたり、バラバラでスクールカーストが何かあるらしかったり、でした。自分優先しなさい!とある教頭先生から言われたこともありますが、時間の管理はできないし、「学校の予定に合わせたら、進級や卒業の危うい生徒の個別指導できない!」と➡
放課後に残って、就業規定無視して、居残って教えたり。学校教員の長時間労働問題が叫ばれ始めた時期で、そこもジレンマでしたね…。
あとは、字の汚さなど、苦手なことに対するカバーについて、「今でいうディスクレシア(読み書きの障害)のような特性が見られる」アインシュタインの板書のことを話題にされました。
(※ディスレクシアは、脳の文字認識の部分などが関わる障害と言われ、ハリウッドスターにも多い失読症なども含まれることがある障害。スウェーデン国王一家にも、ディスレクシアは見られるという。 by 仲見)
国語科ではなかったのですが、東洋学やっていた者として、字を間違えるのは「自分、どーなん?」かと。それ以上に、カタカナの固有名詞表記を間違えることが多く、「えーい!いろんな出版社の教科書で、こういう表記は見たことあるから、こういう表記は全て正解だ!」と試験前に言った
➡ ことが度重なりました。おおらかな上司と非常勤が比較的多い地域をまわっていたこともあり、ここらへんの指導はほかの先生方から煩く言われませんでした。院生の非常勤講師も多かったから、面白くて、生徒の成績が伸びれば、目をつむってくれていたのかもしれません。
ここで、すかいゆきさんによる、暗算や電卓が苦手でも、プログラミングはできる!間違えても、コンピューターが教えてくれるから、というツイートがありました。
そうそう、苦手なところをカバーできる道具や存在に出会えるか、出会えないか、大きかったですよね。私は院生時代に、助成金で調査旅行の交通費を会計課の職員さんに願い出るとき、電卓の打ち間違いを連発しました。3回間違えたところで、その職員さんに電卓を打ってもらい、解決。
専門学校や大学は、そのあたり、機械を使えるので、カバーできるんですよ。小中高は、板書ベースで、生徒は手書きでノートやプリントに記録するのが主流の授業なので、授業中にパソコンやスマホでカバーできない…。教科書や資料集で講師が確認中に、どこからかバスケットボールを➡
取り出し、ドリブル練習していた男子生徒がいて、取り上げようとしたら、華麗に部活用のボストンバッグに収納(笑) なかなか、指導力がなくて、現場で凹みました…。
生徒は机と椅子からは離れず、器用に机の間でボールをつくという技を持っていて、ボールの弾む音で気がつきました。
メンヘラ.jpには、ほかにも高校1年目に中退、そして別の高校の再受験をされた方の一連のプロセスを記した久々津 ぬぬぬ さんの体験記があります。
lemonさんのフリースクールでの体験とお考え、久々津 ぬぬぬ さんのケース、それぞれ、日本の学校側の出欠制度が分からないと、生徒側は対応しにくいかなと思いました。
そらから、すかいゆきさんのアドバイスは、教員や講師側の方のジレンマ解消に、役立つかなと。学校教員も人間なので、ストレスかかると、疲れます。でも、人を育てる仕事で、やりがいもあるから、自分の心身の健康と、生徒の指導にどこまで踏み込むのか、というところで、バランスをとるのが難しいんですよね。
lemonさん、久々津 ぬぬぬ さんにお尋ねすると、教師側や学校側の人とのいろいろな情報交換も、生徒側からすると、必要とのことでした。そういうわけで、教員採用試験のテキストや、文句あるか省の通達、いろいろ掘り返し、できたらメンヘラ.jpに読書投稿をしたいです。
しばし、お待ち下さい。