なかみ・みづきの灰だらけ資料庫(書庫)

~夜思う「真っ黒」博士・仲見満月の研究室奥の少し湿った日々~

生きづらさや息苦しさの「答え」をどこに見出すか~「1文字6円、チャット占いに本音 薬物・絶縁・恋愛…」(朝日新聞デジタル)~

同人グッズや本のアンケートをTwitterでお願いしていた際、タイムラインで見つけた朝日新聞のニュース記事です:

www.asahi.com

 

1文字6円、チャット占いに本音 薬物・絶縁・恋愛…

原知恵子2018年1月5日03時56分

 

午後7時、名古屋市内のマンションの一室。上下スウェット姿でソファに正座した女性が、スマートフォンで、あるアプリを起動させた。

 

 30秒足らずで、電子音が鳴る。

 

 女性は占いの仕事をしている。電子音は、文字や画像で対話をする「チャット占い」の依頼の合図。音声入力機能を使い、話した言葉を文字にして依頼者に送信した。

 「こんばんは! どうしたの?」

 返信には精神的に不安定との訴えがつづられていた。

 「いったん落ち着こうな」

 

 易のサイコロやタロットカードを手に取り、絵文字を交えて送る。1文字6円。やりとりは約30分続いた。「ホッとしました」。そんな風に告げて1人目が画面から消えると、すぐに電子音。依頼は「彼の心が知りたい」。2人目とのやりとりが終わるころ、「容極導与(ようごくどうあとう)」を名乗るこの女性に占ってもらおうと、10人以上が順番を待っていた。

 部屋の棚には、過去の依頼内容…

(1文字6円、チャット占いに本音 薬物・絶縁・恋愛…:朝日新聞デジタル)

有料記事でしたので、無料会員の私は、上記の部分までしか読めませんでした。けれど、チャット占いが、カウンセリングのように求められるという事実には、自分の心のどこかにも、似たような部分があることに思い当たりました。 

 

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それは、昨年は猛暑で、自分とその周辺の人たちがケガや病気になったり、神経の不調なんかを起こしたりした頃。書いていた論文の「後片付け」が一区切りついた晩秋、無病息災のため、また治癒を拝みに、私は神社に参詣しました。お参りのことについて、敬老の日、ご機嫌伺いで祖母に近況報告をしたところ、「神頼みしたところで、自分で気をつけとかんと、調子はよくなりゃせんぞ」と返答されました…。

 

知ってますよ、神様に拝んだって、自分たちで健康になろうと気持ちを切り替えたり、行動したりしないと、治癒に近づかないって。たとえ、今回の参拝が儀礼的で士気を高めるような、プラシーボ効果だけのものであったとしても、いいと思うんです。つまり、そういう行動までしないと、しんどかったのは、チャット占いを申し込む人たちとマインドの状態は同じだったのではないか?

 

昨年の夏の自分をこう振り返りました。

 

 

それ以前にも、私は自分の生きづらさ、息苦しさの答えを何かに求めたくて、振り返れば、学術の面から、色々と掘り下げて研究をしていました。結果は、博士論文まで書いたのに、人間は希望を持たなければ、生きていけない人もいる、という答えでした。私が求めていた答えとは、180度も違うように感じたんですね。

 

自分でも気が付いていなかった「疑問」は、次のメンヘラ.jpの記事にありました:

menhera.jp

 

筆者の方へのコメントに対し、私はこんなコメントを残しました(一部、抜粋)。

(前略)

私が世間に求めていた問いが、かぼちゃさんに提示されたことで、少し、気持ちが楽になりました。「私が世間に明るい未来を信じることを強要されねばならない理由を教えて欲しかった」。何で、強要されるのでしょうね?その答えに、答えられる人はなかなか、いないのかもしれません。

 

ただ、ひとつ言えることは、希望という明るいものがないと、積極的に生きていけない人たちか世の中にはたくさんいるということ。

 

そして、「空っぽの人生を送ってもいいという赦しを与えて欲しかったのだ」という言葉には、他でもない、ご自身が赦していいのです。他者に赦して欲しいなら、私が赦します。世の中の誰だって、空っぽであることを認めるのは、怖いんです。でも、空っぽだと感じたことのある人だって、たくさん、いるはずです。人様に話さないだけで…。

 (主体性も望みもない空っぽな私が、新興宗教に触れて得た「夢」 - メンヘラ.jp)

今回のメンヘラ.jpの投稿を読んで、私は決して、筆者のかぼちゃさんは空虚な存在ではないと感じています。でも、本人が自身の人生に「空っぽ」だと感じているなら、そのとおりなんですよ。その空虚さを感じ、決めるのは本人であり、主観によるものです。他者が「明るい未来を信じなさい」と強要したり、おしつけたりしていいものではないと、私は考えております。

 

というのは、「明るい未来を信じなさい」という言葉と似たようなことを、昨年末のとある忘年会で20歳以上、年齢が上のマダムたちに言われたんです。たぶん、マダムたちは彼女達なりに、必死にサバイバルなさってこられたんでしょう。マダムの中には、研究室ブログで、何度かハラスメントがらみでお話しました、あのMさんもいらしたんです。マダムたちが「希望という明るいものをがないと、生きていけない人たち」ならば、私は空虚なものを内側に抱え、それを「生きづらさ」として暮らしている側の人間なのでしょう。両者の溝は深いなぁ、と帰省前、私は荒れに荒れました。

 

帰省先では、マダムたちと同じ側の実母と「腹を割って」、一応、話をしました。「生きづらさ」については、NHK発達障害に関する一連の番組を実母、そして親族たちも見ていたようで、「脳のはたらきがそうなら、興味のあることしかできなくても、仕方なかったんだね」と言われました。一昨年の秋ほど、実母とは雑巾の投げ合いをするほど、激しいやり取りはしなくて、済みました。

 

親戚のおっちゃんは、杖をついた私を見て、「みづきちゃんは、過集中で作業をすると、食事や睡眠のリズムが崩れてそうだね。そのあたり、おばさん(仲見の実母)に生活リズムを管理してもらいつつ、何かしら運動したら、どうだ?」と行ってきました。その場にいた、実母も「あんたがやる気あるなら、世話したるで!」と言ってましたが、「同人活動の作業で戻らんとあかんので、けっこうです」と断りました。

 

どの母子にもあるように、私の方には消化しきれていない、わだかまりの記憶と感情があって、一週間以上、実母と暮らすと、また雑巾の投げ合いみたいな、やり取りを繰り広げなければならなくて、それはそれで、私の精神的な健康によくないんです。そういう理由で、今回は断りました。それに、「万能器用」な実母の傍にいると、自分がみじめになる気持ちを思い出し、辛くなるんです。

 

 

そんな生きづらさを抱えた私は、今のところ、ブログ群を更新し続けること、同人誌をコンスタントに出し続けることが、チャット占いや「信仰」の代わりになっています。私自身は明るい未来があると思えなくても、できることがあれば、見つけて実行してみる。少なくとも、今はそれがこの世に自分が留まり、命をつなぎとめるはたらきをしていると考え、今日も「同人グッズで、ハンドスピナーや合格祈願の根付を出してみたいなぁ。本と分けて、販売するようにしたほうがいいかな」と印刷所のサイトを物色していました。

 

おしまい。

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