なかみ・みづきの灰だらけ資料庫(書庫)

~仲見満月が言葉を折る灰色の部屋~

【レビュー #文フリ #小説】『夜半過ぎの郵便屋さん』ほか

先日の文学フリマ(文章ジャンルオンリーの同人誌即売会)、皆さま、大変お疲れさまでした。少しずつ、読み進めさせて頂いておりまして、こちらのブログでまた紹介していけたら、と考えております。

 

さて、今回はブースにお邪魔しました、サークル「夜半過ぎの郵便屋」さんで、買わせて頂き、拝読しました2作品の感想を書いていきたいと思います。どちらも、短編に当たる小説です。

 

◆紹介

1.『夜半過ぎの郵便屋さん』

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(画像出典:https://c.bunfree.net/p/osaka05/7341)

 

奥付によると、今年3月の発行。全74ページ、300円。その他の詳細情報は、こちら:
c.bunfree.net

 

<内容>

24時を過ぎたころ、オープンする郵便局がありました。そこには、「訳あって」渡せない手紙を預かり、差出人を思い出した人が手紙を受け取りに来訪する、不思議な場所。そこへ、ある晩に「ツヅリ」と局員から呼ばれる子どもが訪れます。ツヅリは、郵便局を訪れる様々な人々を観察し、時に手紙を預ける手助けを行い、窓口の奥に山型に積まれた手紙をいくつか手に取り、黙読することもあります。

 

ツヅリは思う。ここに預けられた手紙は、果たして受け取りに来訪する人物はいるのだろうか。これは、直接渡せなくなった手紙を預かり、保管しておき、届け先の人を待つ手紙を見守る、局員とある子どもの物語。

 

<感想>

見た目は、薄い文庫くらいの大きさで、74ページ。文の大きさと字組みは、大きめで密度が少し高い印象を受けました。

 

数時間ほどで読めるかな?と思いましたが、購入直後から読み始めて、2日ほどかかりました。舞台と主要登場人物右は固定されているんですが、手紙を預けに来る人物たちが個性豊かだったり、事情を抱えてそうな雰囲気を持っていたり、 ある意味、読者視点となるツヅリの心情や行動を追うのに、何度も半ページずつくらい、戻ってはじっくり読みました。そうやって、噛んで味を出しながら、物語の世界に浸る読み方を私はしておりました。

 

『夜半過ぎの郵便屋さん』というタイトルのためか、終盤は夜が明けた後のシーンも少し、書かれていました。主要人物と郵便局の存在がどのようなものか、ここで明かされ、ラストを迎えたという、しっかりした話の運びになっております。

 

 

2.『灯の海に、幕が下りる』

 

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 (画像出典:https://c.bunfree.net/p/osaka05/8815)

 

A5判サイズのコピー本で、「第6回テキレボ公式アンソロジー「祭」参加作品」だったようです。横書きで、間の取り方は、ブログの小説のような文字組みの印象を受けました。

  

 

<内容>

ある国の村で、催された祭り。その祭りで、青年のアルミスと博士が再会するところから、物語は始まります。照明は落とされ、やがて示し合わせたように、どこからか一人の少女が姿を見せ、光を灯した灯篭を持ち込みます。アルミスと博士は、祭りを話題に会話を重ねるうち、2人の旧知の「将軍」が登場。将軍は、今回の祭りは戦争が終わり、その犠牲となった人たちを弔う意味の強いものだと、2人に説明します。話の展開とともに、アルミスと博士の姿は消え、やがて祭りに残った将軍は、2つの灯篭を眺め、夜の幕が下りるのでした。

 

<感想>

数時間で読了できる長さですが、物語の進行とともに、主要人物達の正体が少しずつ明かされていき、読者を飽きさせません。前半の登場人物たちの会話は、一行空けるような間がありませんが、祭りの進行や将軍の登場に向かううち、行間が空くようになり、物語の時系列についても、誰が回想しているシーンか、文章の形式で分かるようになています。

 

人物の正体ですが、まず、アルミスが舞台のどんな存在であったか、博士との会話から明かされます。からだの一部にひびが入っているよな描写がありますが、それを平然と祭りの様子を眺めながら、博士に返答するアルミスの様子は、それそのものが人間離れした彼の存在を物語っています。

 

中盤から出てくる将軍が2人に見つけられ、3人で会話が進みますが、終盤でアルミスと博士は続く祭りを後に、群衆を離れまてゆきます。その場に残った将軍の手は、「魂を送る祭囃子」が寂しげなことに気づきます。そこに2つの灯篭が目に入る将軍は、戦争にまつわる「悲しい」回想に浸るのでした。終盤の将軍の回想で、やっと2人が先に祭りを去った理由が明かされ、この物語の幕引きにふさわしい表現となっていました。

 

 

3.最後に

今回、拝読しました作品は、最後に登場人物達の正体、結末が明かされるという展開になっていました。『夜半過ぎの郵便屋さん』のほうは、特に、途中で登場する情報を拾ったり、ページを戻って確かめたりしながら、丁寧に読み進めていたこともあって、市クライマックスで手紙を受け取りに来た人の登場には、ちょっと、泣きそうになりました。

 

こちらの2作を置いておられたサークル「夜の郵便屋」さんの作品は、他にもいくつかありまして、今回の文学フリでは、

c.bunfree.net

c.bunfree.net

の2作を買い逃してしまいました。

 

次回の新刊を楽しみにするとともに、上記2作品も読めることを楽しみにしております。

 

素敵な物語を生んでくださって、能西都さま、ありがとうございました。

 

【経過報告】両手首とふくらはぎが改善しました

7月20日あたりから四肢の筋を痛めました、ということを、TwitterFacebook、メインブログでお知らせしておりました。

 

あれから1ヶ月が経ちますが、両手首、両方のふくらはぎは、神経の鈍い痛みが引きました。

 

だいぶ、痛みはマシになったものの、両膝と両手の指の間接に鈍痛が残っています。立ち上がるか時に鋭い痛みはやないが、なるべく、つかまり立ちで立ち上がってます。ペットボトルのフタを回して開けたり、長時間のタイピングはきつく、音声認識の入力システムを頼っています。

 

身体を支える道具について、傘を試しましたが、本来の目的のものではないので、断念。ネットショップで、2000円くらいの杖を買いました。膝の痛みが引くまで、もう少し、お世話になりそうです。
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杖を使い始めて気がついたのですが、けっこう、腕の筋肉を使うようですね。最初の頃は、手首の鈍痛があり、腕にかかる負担が大きく、すぐ疲れていました。

 

最近は、明るい花柄の杖があり、オシャレなデザインの杖もあるようです。特に、坂の多い自治体だと、私のように四肢の筋を痛めると、入院レベルでない人は、乗り物で入れない路地に自力で移動しなければなりまけん。そのような時に、身体を支える杖があると、安心で助かるかな、と思いました。

 

ゆっくりですが、お仕事も進めさせて頂いております。ご迷惑を多方面におかけしておりますが、どうかご理解のほど、引き続き、よろしく、お願いいたします。

 

【お知らせ】私に関わる皆様へ: 仲見満月のちょっと困った「特性」について

最近の求職活動でお仕事を一緒にする機会が新規の方々と増えてきたため、ここで自分の発達障害の傾向に関わる、少し厄介な私の脳におそらく因むと思われる「特性」について、書かせて頂きます。

 

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 <ちょっと困った「特性」のこと>

1.特性その1:聴覚情報の処理に難があります

会話や通話では聞き返し・言い直しが数度、あるかもしれません。

 

<参照>
大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 

の「3-3.五感の情報処理の「障害」によるコミュニケーションで困ったこと」:

menhera.jp

 

詳細は、こちらです↓

(前略)例えば私の「構音障害」にともなう「聞き間違い」や「言い間違い」を笑われることへの抵抗感を理解してもらうことが難しいように思いました。

 

私の「構音障害」とは、頭の中で考えた言葉をそのとおりに発声できなかったり、話し手の言った言葉を相手の言ったとおりに聞き取る、あるいは聞き取ったままに脳で言語化できなかったり、どうやら音に関する情報処理が脳で正確にできていないようでした。

 

厄介なのは、自分で「A」と発声したつもりが、実際には「B」と発声されているのに、話し手の本人が気づいていないことです。日常生活の中で、そう頻繁に起こることではないものの、先日の精神科の診察で私が「言い間違い」をたらしく、主治医に向かって言い直しました。

 

実は、この「構音障害」に気づいたのは、中学生最後の文化祭の劇でした。当日、舞台にった私は、練習してきた「A」というセリフを自分では発声したつもりでしたが、舞台のそでに戻ると主演の生徒に「間違えてんじゃねーよ!!」と怒鳴られました。間違えていないと自信のあった私は、後日、劇の反省会で録画映像を再生してみると、モニタの中の私は「B」と発声。主演者の生徒の言ったとおり、私はセリフを間違えていたと自覚しました。その後、「言い間違い」や「聞き間違い」で、私は10代後半でからかわれる経験をし、文化祭の劇での「言い間違い」とともに、大きなトラウマとなりました。

 

「構音障害」は年齢を重ねても好転するものでもないようで、大勢の人たちが集まる学会大会後の懇親会や、大学院の歓送迎会といった酒の席。それから、研究室単位の飲み会など、騒がしい場所で聞き取るべき音を集中して拾えない場所での会話では、もっと「言い間違い」や「聞き間違い」の頻度がアップしたように思います。

 

こういった事情について、大学院の部局の人たちに説明しても、なかなか、私の苦労は伝わなかったようでした。社会人院生の方は、笑いながら「気にしすぎだよ。そういうことって、私にもあったよ。聞き返しや言い直しをしたら、いいじゃない。だいたい、そういう傾向を含めて発達障害っていうものなの?」と言われて、終わりでした。

 

私がいつまでも、「構音障害」にともなうトラウマを根に持ち、気にしすぎていることが、いけなかったのかれません。同音異義を避けたり、聞き返しをしたり、工夫はしました。しかし、冬の鍋会や、院を出た後に開かれた送別会等の場でも笑われることがあり、特に酒の席では楽しい雰囲気を壊さないことに気をまわし、いちいち、笑わないでほしいことを、言いませんし、言わなくなりました。

大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係 – メンヘラ.jp

なお、「構音障害」の呼び方は、天崎心良さんのご著書を拝読し、その特徴が私の聞き間違いや言い間違いちった経験に近かったため、使わせて頂きました:

gray-naka3-3dsuki.hatenablog.jp

 



2.特性その2:視覚の文字情報処理の問題~表意文字と記号が長く続くものの理解に時間がかかります~

ディスレクシアまではいきませんが、数字、アルファベット、ときどきカタカナ等、表音の文字や記号の並びを読むと、何が書いてあるかのから、意味を認識するのに時間がかかってしまうことがありました。だからか、私は高校の数学は赤点、英語も高校で成績がさがったのかもしれません。


ひながなも並び続ける文章は、ちょっと私が読むには、辛いです。そういった認知の特性があるので、表意文字の多い漢字を使う中国、それから東アジアのことを、研究でしていたのかもしれません。院生時代、中国語の文献を翻訳していた時は、漢字・ひらがな・カタカナを混ぜて、各文字が異なる種類の文字であると認識できるよう、気をつけて日本語にしておりました。


FacebookTwitterをはじめ、メッセージのやり取りで、文字の誤認のため、理解が進まず、ご確認のメッセージをお送りすることもあるかと存じます。

 

<関連>

m.facebook.com

 

 

3.これらの特性とお願いについて

診断はされていませんが、発達障害の傾向があると主治医に言われ、特に聴覚の特性が関係していると指摘されております。文字情報の認識のほうは、現時点では分かりません。


一応、日常生活は送れる程度には、不便をしていません。


しかし、メッセージやメール、対面やSkypeでの会議や会話などでのコミュニケーションで、様々なご面倒をおかけすることが出てくるかと思います。


申し訳ございませんが、ご理解のほど、よろしくお願い致します。


【追記:昨今の健康状態について】
一部のお仕事関係の方々、周囲の方々には申し上げましたが、面倒なことに、2017年7月20日あたりから、身体的な四肢の神経を痛めたことで、メンタル状態が不安定になっております。


もともと、発達障害の傾向にともなう、これまでの人生の負の面による二次障害的なもので、精神的な落ち着きに波があったところへ、身体の不調が来てしまい、今は正直、不安定になっております。


8月頭に精神科の主治医に現状を相談の上、関係者の皆様とのお仕事や、プライベートでのお付き合い等で、ご不便やご迷惑をおかけしないよう、努めて参りたく考えております。


どうか、メンタル面の不調につきましても、知って頂くとともに、もうしばらく、落ち着くのをお待ち頂くけましたら、大変助かります。


重ねて、お願い申し上げます。

 


2017年7月28日 

仲見満月

 

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