【お知らせ】私に関わる皆様へ: 仲見満月のちょっと困った「特性」について
最近の求職活動でお仕事を一緒にする機会が新規の方々と増えてきたため、ここで自分の発達障害の傾向に関わる、少し厄介な私の脳におそらく因むと思われる「特性」について、書かせて頂きます。
<ちょっと困った「特性」のこと>
1.特性その1:聴覚情報の処理に難があります
会話や通話では聞き返し・言い直しが数度、あるかもしれません。
<参照>
大学院は「隠れ発達障害者の沼」だった 発達障害と研究者の不思議な関係
の「3-3.五感の情報処理の「障害」によるコミュニケーションで困ったこと」:
詳細は、こちらです↓
(前略)例えば私の「構音障害」にともなう「聞き間違い」や「言い間違い」を笑われることへの抵抗感を理解してもらうことが難しいように思いました。
私の「構音障害」とは、頭の中で考えた言葉をそのとおりに発声できなかったり、話し手の言った言葉を相手の言ったとおりに聞き取る、あるいは聞き取ったままに脳で言語化できなかったり、どうやら音に関する情報処理が脳で正確にできていないようでした。
厄介なのは、自分で「A」と発声したつもりが、実際には「B」と発声されているのに、話し手の本人が気づいていないことです。日常生活の中で、そう頻繁に起こることではないものの、先日の精神科の診察で私が「言い間違い」をたらしく、主治医に向かって言い直しました。
実は、この「構音障害」に気づいたのは、中学生最後の文化祭の劇でした。当日、舞台にった私は、練習してきた「A」というセリフを自分では発声したつもりでしたが、舞台のそでに戻ると主演の生徒に「間違えてんじゃねーよ!!」と怒鳴られました。間違えていないと自信のあった私は、後日、劇の反省会で録画映像を再生してみると、モニタの中の私は「B」と発声。主演者の生徒の言ったとおり、私はセリフを間違えていたと自覚しました。その後、「言い間違い」や「聞き間違い」で、私は10代後半でからかわれる経験をし、文化祭の劇での「言い間違い」とともに、大きなトラウマとなりました。
「構音障害」は年齢を重ねても好転するものでもないようで、大勢の人たちが集まる学会大会後の懇親会や、大学院の歓送迎会といった酒の席。それから、研究室単位の飲み会など、騒がしい場所で聞き取るべき音を集中して拾えない場所での会話では、もっと「言い間違い」や「聞き間違い」の頻度がアップしたように思います。
こういった事情について、大学院の部局の人たちに説明しても、なかなか、私の苦労は伝わなかったようでした。社会人院生の方は、笑いながら「気にしすぎだよ。そういうことって、私にもあったよ。聞き返しや言い直しをしたら、いいじゃない。だいたい、そういう傾向を含めて発達障害っていうものなの?」と言われて、終わりでした。
私がいつまでも、「構音障害」にともなうトラウマを根に持ち、気にしすぎていることが、いけなかったのかれません。同音異義を避けたり、聞き返しをしたり、工夫はしました。しかし、冬の鍋会や、院を出た後に開かれた送別会等の場でも笑われることがあり、特に酒の席では楽しい雰囲気を壊さないことに気をまわし、いちいち、笑わないでほしいことを、言いませんし、言わなくなりました。
なお、「構音障害」の呼び方は、天崎心良さんのご著書を拝読し、その特徴が私の聞き間違いや言い間違いちった経験に近かったため、使わせて頂きました:
gray-naka3-3dsuki.hatenablog.jp
2.特性その2:視覚の文字情報処理の問題~表意文字と記号が長く続くものの理解に時間がかかります~
ディスレクシアまではいきませんが、数字、アルファベット、ときどきカタカナ等、表音の文字や記号の並びを読むと、何が書いてあるかのから、意味を認識するのに時間がかかってしまうことがありました。だからか、私は高校の数学は赤点、英語も高校で成績がさがったのかもしれません。
ひながなも並び続ける文章は、ちょっと私が読むには、辛いです。そういった認知の特性があるので、表意文字の多い漢字を使う中国、それから東アジアのことを、研究でしていたのかもしれません。院生時代、中国語の文献を翻訳していた時は、漢字・ひらがな・カタカナを混ぜて、各文字が異なる種類の文字であると認識できるよう、気をつけて日本語にしておりました。
FacebookやTwitterをはじめ、メッセージのやり取りで、文字の誤認のため、理解が進まず、ご確認のメッセージをお送りすることもあるかと存じます。
<関連>
3.これらの特性とお願いについて
診断はされていませんが、発達障害の傾向があると主治医に言われ、特に聴覚の特性が関係していると指摘されております。文字情報の認識のほうは、現時点では分かりません。
一応、日常生活は送れる程度には、不便をしていません。
しかし、メッセージやメール、対面やSkypeでの会議や会話などでのコミュニケーションで、様々なご面倒をおかけすることが出てくるかと思います。
申し訳ございませんが、ご理解のほど、よろしくお願い致します。
【追記:昨今の健康状態について】
一部のお仕事関係の方々、周囲の方々には申し上げましたが、面倒なことに、2017年7月20日あたりから、身体的な四肢の神経を痛めたことで、メンタル状態が不安定になっております。
もともと、発達障害の傾向にともなう、これまでの人生の負の面による二次障害的なもので、精神的な落ち着きに波があったところへ、身体の不調が来てしまい、今は正直、不安定になっております。
8月頭に精神科の主治医に現状を相談の上、関係者の皆様とのお仕事や、プライベートでのお付き合い等で、ご不便やご迷惑をおかけしないよう、努めて参りたく考えております。
どうか、メンタル面の不調につきましても、知って頂くとともに、もうしばらく、落ち着くのをお待ち頂くけましたら、大変助かります。
重ねて、お願い申し上げます。
2017年7月28日
仲見満月
2017年の7月も後半、それと #ツイキャス 朗読 #中島敦 『 #山月記 』
本日で今年の七月も十六日目。カレンダーを作成して、手元のスケジュール帳と並べてみたのですが、あっと言う間だったなと、この半月をふり返っております。
先月からの新しい変化と言えば、心身ともに不安定になりながら、書き直しを続けていた学術論文を仕上げ、提出したこと。積極的に「お仕事を下さい!」と動き出したこと。この2つです。
あとは、こちらのことをきっかけに、ツイキャスをする回数が一気に増えました:
gray-naka3-3dsuki.hatenablog.jp
朗読キャスのほうは、プロではありませんし、技術は上がりませんが、細々と続けております。
今週の14日は、中島敦『山月記』でした。残りの時間は、wikipediaを使って、今作の元ネタの唐代伝奇「李徴」や、彼の親友であり、『旧唐書』や『新唐書』の歴史書で確認できる袁傪の人物像について調べて、いろいろと喋りました:
朗読したのは、キンドルにある青空文庫版は、底本が次の新潮文庫版であった模様です:
中国唐代の歴史的な細かい出来事について、また二十五史(数え方は諸説あり)のことをブツブツとつぶやいてみたり、『太平広記』等のwikipediaに出てくる書物に関して、けっこう大雑把なことを喋っております。ちなみに、太平広記 - Wikipediaは北宋の類書 で、卒論を書く時、『太平広記』当時の家具やら住居やらのことを調べた覚えがあります。
そういえば、こんな記憶があります。非常勤講師で教えていた学校のひとつで、『山月記』を国語でやっていた時期に、世界史のほうで私が日清戦争後の下関条約を扱う時期が重なった思い出があります。世界史の授業で、清朝側の講和条約の代表者を尋ねると、生徒から李徴の名前が出てきて、「おしい!姓の李は正解。この人物の下の名前、二文字。実は、前に教科書で出てきてる人物なんですよ。よ~く、教科書をめくって、思い出してみて。もし、分かる人いたら、この子に教えてあげて下さい」ということを言った気がします。
指導として、適切ではなかったかもしれなませんが、それはともかくとして、中島敦の「山月記」は、現在も高校国語の現代文で取り上げられる作品なんですよね。魯迅「故郷」ともども、日本の国語教育において、一定の教育的価値の認められている文学作品ということについて、認識を新たにしました。
このあたり、またメインブログで纏め直したいと考えております。そういうことで、メモ的に書いておきました。おしまい。